2006年05月06日
やさしさに包まれたなら
5月5日付の朝日新聞に 「ブログに群がる”ネット右翼”」 の記事がありました。
それは、ネットに依存して自己主張を繰り返し、特定のブログを攻撃する人達がいるという話です。
文字によるコミュニケーションは、双方向といえども、人間本来が持っているコミュニケーション手段の一部を使っているに過ぎません。
例えば、顔色、声の抑揚、しぐさや態度などの情報が欠落しています。これらは、言葉が発明される以前から、動物としての人間が持っていたもので、言葉よりもずっと歴史があります。
すなわち、このことから文字だけでは相手の反応を誤って認識してしまうことがあるということです。そのため、相手側の反応を想像できる能力が足りないと、思考がデフォルメされ、一方的な自己主張の拡大再生産ループに陥ってしまいます。
このループに陥ってしまう人達は、生の人間とのコミュニケーションが上手くなく、日ごろ素の人間とのコミュニケーションをしていない人達なのではないでしょうか。新聞で取り上げられた人も、30代で無職、家でネットに興じているという記述がありました。
本来の人間は、もっとやさしいと思います。しかし、ネットのコミュニケーションでは、その不完全性ゆえに人間本来の反応を歪めているのだと思います。
今日ごみの収集日で、ごみ回収車が家の前を通りました。
子供が興味津々で、その大きな音を立てて、ごみを飲み込んでいく車を見つめていました。すると、収集車の係員の方がそれに気付き、笑顔で子供に手を振ってくれました。
これを見ていて気付きました。ごみを出す側、ごみを集める側という単なる関係ではなく、人間が役割を分担して社会を築いており、そこに人間本来のコミュニケーションがあれば、お互いがやさしくなれるのだなあということをです。
荒井由美の「やさしさに包まれたなら」の歌詞に次の一節があります。
『
カーテンを開いて
静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら
きっと
目に映るすべてのことが
メッセージ
』
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